| ~日系移民たちが開拓した“夢の大地”へ~ 魔境モコナの滝と南米の小国ウルグアイ、パラグアイ バス縦断の旅 |
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| 知られざる魔境の滝モコナ(アルゼンチン) |
| 南米の地図を広げてみると、大国アルゼンチンに寄り添う様に位置するウルグアイとパラグアイ。実はブラジルやペルー同様、日系移民の多い国として知られています。彼らの耕した大地が、両国の農業に大きく貢献したことは言うまでもありません。いずれも『メルコスール(南米南部共同市場)』と呼ばれる貿易協定にブラジル、アルゼンチンと共に加盟しています。ウルグアイは、対岸にブエノスアイレスを眺めつつ、世界遺産コロニアの町には今も1950年代のクラシックカーが走るレトロな雰囲気・・・パラグアイは、国土の60%が自然、温暖な気候と豊かな自然に恵まれています。のんびりとした風土に、先住民グアラニー族の伝統を今に受け継ぎ、繊細な刺繍で知られる“ニャンドゥティ”や20を数える民族舞踊の中でも“ボトルダンス”などは世界に誇っています。ツアーではウルグアイからパラアグアイへバスで縦断し、途中アルゼンチンの魔境モコナの滝もご案内する日本橋トラベラーズオリジナル企画ツアーです。 ~企画者より~ |
| <ラテンアメリカでチリに次ぎ2番目に生活水準が安定しているウルグアイ> |
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■正式名称:ウルグアイ東方共和国 ■面積:17.6万平方キロメートル (日本の約半分) ■人口:333万人(2008年) ■首都:モンテビデオ ■民族:スペイン、イタリア系大多数 ■言語:スペイン語 ■宗教:キリスト教カトリック |
| <世界遺産コロニア・デル・サクラメントの歴史的町並み> 1680年ポルトガルの貿易港として建設されたウルグアイ最古の町。岬の先端部には現在も歴史的建造物が多く残されています。世界遺産地区にも現代の人々がのんびり暮らし、石畳にはクラシックカー・・・夕暮れ時、黄色い街灯に照らされた街並みも趣があり、レトロな雰囲気が漂っています。ブエノスアイレスからコロニアへ、ラ・プラタ河を高速フェリーで行きます。 <世界無形文化遺産に登録されたウルグアイの“タンゴ”と世界に誇る“ウルグアイワイン”> タンゴと言えばアルゼンチン、誰もがそう思うことでしょう。しかし実は、ウルグアイもアルゼンチンと並んでタンゴは名高く、2009年には『世界無形文化遺産』に登録されました。そしてウルグアイワインも又、アルゼンチンやチリと違って、日本では殆ど知られていませんが、世界のワイン業界の間では高い評価を受けています。現在、約9000ヘクタールの土地でブドウ作りが行われ、全国に350カ所のワイン醸造所があります。因みにウルグアイが位置する南緯30度から35度にかけてはワイン醸造の理想的な気候です。 <ラ・プラタ河の河口に広がるウルグアイの首都モンテビデオ> 近年クルーズ客船の寄港地としても、人気が高まっているウルグアイの首都モンテビデオ。 ヨーロッパの都市を思わせるエレガントな建物が町の中心によく見られます。とりわけメインストリートの7月18日通りには、風格のある建物や公園が多く、また1930年記念すべき第1回ワールドカップ大会が開催されたセンテナリオ・スタジアムがあります。 |
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| コロニアの旧市街 | ウルグアイタンゴ |
| <2011年5月15日独立200周年を迎えたパラグアイ> |
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■正式名称:パラグアイ共和国 ■面積:40万6,752平方キロメートル (日本の1.1倍) ■人口:628万人(2009年) ■首都:アスンシオン ■民族:メスティソ95%、先住民2%、 欧州系2%、その他1% ■言語:スペイン語、グァラニー語 (ともに公用語) ■宗教:キリスト教カトリック |
| <パラグアイ唯一の世界遺産トリニダー遺跡> 日本にもキリスト教の伝道をしたイエズス会は、17世紀はじめアルゼンチン北部からパラグアイ南部に理想社会を築こうと、先住民グアラニ族を伴い入植地を造りました。しかし、18世紀中頃には、自分たちの力の及ばないことに危機感を持ったスペイン本国政府により 破壊されてしまいます。彼らの理想郷であった居住地には、当時の教会や民家がそのまま残されています。 <パラグアイ先住民グアラニー族伝承のレース編み“ニャンドゥティ”の産地イタグア> “ニャンドゥティ”とはグアラニー語で「蜘蛛の巣」を意味します。その名の通り、まるで蜘蛛の巣の様な模様が施されたレースはとても手編みとは思えぬほど繊細です。100種以上の丸いモチーフを組み合わせて動植物を抽象化したデザインが特徴です。 <パラグアイで最初の日系移住地ラ・コルメナ> 日本人がペルーに次いで最初に大規模な移住を行ったのはブラジルでした。しかしその後日本人排斥の気運が高まり、1930年ついに「外国人移住者二分制限法」が制定され、新しい受け入れ先として浮上したのがパラグアイでした。南米では小国ながら日本の1.1倍。当時、パラグアイでは周辺国との度重なる戦争で人口が激減、まずヨーロッパからの移住がはじまり、1936年から第二次大戦までに約700人の日本人が移住しました。とりわけ1950~60年代にかけての農業移住は盛況を極めたと言います。アスンシオンの東南約130kmのラ・コルメナは、パラグアイで最初の日系移住地となりました。この地の西南にあるセロ・アプラグアという山は、その姿がに富士山を思わせ、その名も「コルメナ富士」日系移民たちの望郷のよすがとなりました。現在は約6000人の日系人がパラグアイに暮らしていま す。 |
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| グアラニー族伝承のレース編み“ニャンドゥティ” | パラグアイの民族舞踊“ボトルダンス” |
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★ コロニア・デル・サクラメントの歴史的街並み(ウルグアイ) ★ 世界無形遺産 “ウルグアイタンゴ”と“ウルグアイワイン” ★ トリニダー遺跡(パラグアイ) |
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