株式会社日本橋トラベラーズクラブ
"都市の歴史・建築の旅シリーズ"2015年 最新作!
“東方のベニス”淡水と台北ノスタルジア近代建築の旅 6日間
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最新作!2015年「都市の歴史・建築シリーズVol.6」

“東方のベニス”淡水と台北ノスタルジア近代建築の旅


台湾の近現代史と建築

―――淡水時代―――

台湾の近現代史は1858年、清国(中国)が欧米列強の武力に屈して結んだ天津条約、さらに1860年北京条約によって大きく展開することとなります。それらの条約は不平等な治外法権を伴ったもので、清国及び台湾にて10カ所の港が開港させられました。その一つの港が「淡水」でした。淡水は、台北の北西20キロ程、淡水河で台湾海峡と結ばれる台湾の海の玄関口に当たります。開港とともにイギリスの領事館(紅毛城)をはじめ、税関施設(ホワイトハウス・小白宮)、台湾最古の教会、各国の商館などがここに集まり、瞬く間に台湾最大の港湾として繁栄し「東方のベニス」と称されました。しかしその後、数十年を待たず、河口に砂が堆積し大型船舶の航行が難しくなると淡水は時を止めます。それが逆に西欧の史跡を今にとどめる魅力ある観光地として見直されはじめています。

―――日本統治時代――――(台北市内)

1895日清戦争の結果、下関条約によって台湾が朝から日本に割譲され日本統治が始まります。それから1945年の日本敗戦までの50年間、日本は事実上、台湾を植民地とし支配しました。統治の要を担ったのが日本政府の出先官庁である台湾総督府です

総督府は総督府庁舎の建設を進めながら、清朝が築いた市街の城壁を撤去、街路を建設し、上下水道を整備するなど近代都市建設を進めます。さらに1901には台風被害により、在来の中国式建造物が壊滅的被害を受けると、それを期に官庁・学校・銀行・会社などがレンガ造り・石造りに替わり市街の街並みは一変し、欧米式な建築化が進められていきます。

今に残る当時の建築には東京駅の設計をした辰野金吾の愛弟子、長野宇平治による総督府、さらに名建築家、西村好時の秀作とされる台湾銀行本店をはじめ、森山松之助の監察院、井出薫の高等法院などがあり、他にも設計者の詳細が不明な日本時代の素晴らしい近代建築群は列挙に暇がありません。

現在、日本では数多くの近代建築が取り壊されましたが、台湾人にとってはなおさら植民地支配の負の遺産であった当時の建築物が排除される気運もあったはずです。にもかかわらず多くの台湾人には、建築自体の価値から取壊しを惜しむ声も高まり、1982年に公布された「文化資産保存法」によって、破壊を免れます。さらに90年代には日本統治時代の近代建築は国家遺産として認められるようになり、今にその姿をとどめています。 

―――日本統治時代――――(台北郊外1・桃園(大渓)、新竹)

 日本政府によって建てられた台湾総督府は現在でも中華民国(台湾)の元首である総統が執務をおこなう官邸(総督府)として台北の中枢にあります。一方台北の東郊外にも「総統の町」と呼ばれる場所があります。それが国際空港もある桃園県の大渓です。その理由は初代中華民国総督蒋介石とその長男で総統に就いた蒋経国の父子公園や元総督の李登輝の戸籍がここにあるからです。しかもそれ以上にこの大渓近郊にはミシュランガイドでも星の付く見どころがあります。それが大渓老街であり、また蒋介石が愛した風景と日本統治時代世界の7割を占めた生産を誇り“樟脳王国”と呼ばれた地、角板山もその遺構が残る見どころです。

 大渓老街は1850年代清朝時代に街を流れている川を利用した木材運搬をはじめ米や塩などの取引によって経済拠点となっていました。後に日清戦争に続く日本軍との戦闘により街は炎上。しかし台湾総督府は台北市内に続いて1920年、商業的な優位さから大渓と新竹にも新たな都市計画を実施します。特に大渓は国際的な気質ある土地柄、商人たちは自らの店を次々に新しい建築様式で飾り、一軒一軒の商店はその美しさを競うように軒を連ね豪華な街路が出来上がります。それが「大渓式建築」とよばれる漢文化と欧米建築が融合するバロック建築の誕生です。一方の新しい新竹にもわずか十年で小台北のような都市が建設され、市政府をはじめ新竹駅など優れた日本時代の近代建築を見ることができます。 

―――日本統治時代――――(台北郊外2・菁桐、金瓜石)

 日本の鉄道ファンにとっても人気のローカル鉄道、平渓線は日本統治時代の1922(大正11年)台湾屈指の炭田といわれた菁桐坑の開発のため敷設された専用線でした。その後、台湾総督府に買収され平渓線として運航されています。この時造られた駅舎の一つ菁桐駅も80年以上の歴史を持ち現存している日本式木造駅です。さらに菁桐の村には昭和14年炭鉱会社の社員用の建物が残っています。それは阿里山のヒノキを使用し、102人の大工たちが日本の宮造り法で作り上げたと言われます。また炭坑を管理する日本人集落には当時の日本家屋が今も残っていて民宿などとして保存されています。他にも当時の子供用の滑り台が残されていて実に懐かしさを覚えます。

 1893年、台湾北部の山間の町・九份、翌年には金瓜石でも金鉱が発見されます。日清戦争後、これらの金鉱山を日本は台湾総督府のもと管理します。一帯はゴールドラッシュに湧き栄華を極め、1935(昭和10)には年間100万トンを採鉱する東洋一の大鉱山となり、9000人以上の労働者を有し、日本鉱業のドル箱となっていました。その後、太平洋戦争末期には採鉱し尽し閉山へと向かいます。戦後には中華民国政府により一時活気を取り戻すもやはり鉱脈は尽き1985年最終的に閉山された。現在、開設当時の精錬施設、地下坑道、鉱山事務所、日本人宿舎など建造物がそのままの形で残っており、重要な近代化遺産であり、世界遺産登録へ向けての準備が進んでいます。

●日程表



●ご旅行代金 ~3か月前までのご予約で3,000円の早期割引~
■日本国内の空港諸税、燃油サーチャージが別途必要となります。
 出発日  発着地  日数 旅行代金 一名室一人部屋
追加料金
 2015年11月4日(水)
 成田/日本各地
 6日間
¥248,000
 ¥65,000
  2016年4月6日(水)
成田/日本各地
 6日間
¥265,000
¥65,000
 2016年5月5日(水)
 成田/日本各地
 6日間
¥248,000
 ¥65,000
燃油サーチャージ目安額 5,000円
【旅行条件】
●食事回数:朝食5回、昼食5回、夕食5回、機内2回
●ツアーコンダクター:全行程同行
●最少催行人数:10名様(最大18名様)
●発着地:成田/関西(ツアーコンダクターは成田発に同行)
●日本発着利用予定航空会社:中華航空、エバー航空、スクート航空、全日空、日本航空
◎パスポートの残存有効期間は、出国時6ヶ月以上です。
◎日本国籍の方は査証は不要です。

お荷物無料 宅配サービス  ご出発、ご帰国時にスーツケース(お1人様1個)を無料宅配致します。


●ツアーお問い合わせ    
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(株)日本橋トラベラーズクラブ

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